空手が嫌いだった私が、空手の指導者になった理由④/高校生時代~快挙と違和感編

たまには、こんなお話もいいでしょ?

こんにちは!Risaです。前回の高校時代の続きになります。(前回のお話は『こちら』)

なんともないお話ですが、へー、こんな事もあるんだなーってくらい軽く読んでもらえたら嬉しいです。

さて、新しい道場に通うようになった私が、師範のおかげで東京の先生に出会って、初めて自分の成長を『実感』できたところまで、お話しましたね。

東京の先生は、よく笑う『永六輔さん』に似た、本当に素敵な先生でした。

私が成長を『実感』できた訳

当時の自分でも分かるくらい、成長が実感できたわけを、私はこう思っています。

「私に合うやり方を見つけてくれたから」だと。

空手道は基本があって、似たような技であっても、流派によって名前が違ったり、体の使う箇所が微妙に違ったりします。
(例えば、回転軸が母指球で回る流派もあれば、かかとを中心にして回る流派もある、、みたいなことです。)

だから、流派の基本に沿って鍛錬をしなければいけないのですが、競技となると、基本に忠実にやるだけでは勝てません。
なんでもそうですけど、結局基本をベースに、どれだけ応用の幅を広げられるか、、が競技としてはキーになるんですよね。

なんと表現をしたらいいのか、適切な言葉が見つからないのですが、しいて言うなら、、、

東京の先生は『限界を突破させてくれる。自分の天井を突き抜けさせてくれる。新しい自分の一面を見せてくれる。』

そんな先生でした。

中でも、先生に言われて印象的だったのは「誰かと同じやり方をしても、それはあなたにとって良いやり方とは限らないよ。」

と言われたことでした。「だから、あなたのやり方を見つけていかなくてはね。」と。

そこから、先生がまるでオーダーメイドの服を仕立ててくれるかのように、私に合うやり方で指導をしてくれました。

みるみる、突きや受けにスピードがのり、技のインパクトが出るようになってきたのが、自分でも分かりました。
だから、何時間も何時間も通しで練習をしていても、体育館の室温が40度を指していても、どんなに体力がきつくても、清々しい気持ちでその時間を過ごすことができていたのだと思います。

自分にとっての大快挙!

私はこれまで全国大会に出ても、予選敗退当たり前、1回戦を突破したことなどありませんでしたが、

新しい道場へ通うようになり、東京の先生に指導してもらい、ことあるごとにと東京の道場に連れて行ってもらい、両親のサポートを一心に受けながら稽古しました。

すると、、高校2年生の3月。私は自分でも驚くような結果を出すことができたのです。

ほかの素晴らしい選手に比べたら、大した戦績ではありません。だけど、高校の全国選抜で決勝に残れた、ベスト8に入れた。というのは、「辞めることを我慢する」ことにしただけの私にとって、大変な快挙でした。
(当時は決勝に8名残れたので、今の決勝は2名だけのルールだったら、全然残れてないんですけどね。。焦)

そして後に、この結果が大学進学に大きく役立つことになります。

元の道場の先生から言われた言葉に感じた違和感

ほどなくして、もともとの道場の先生(小学生時代に移動した先の道場の先生)から「もっと道場にこい。それは新しい道場へ行く時の約束だっただろう。」と言われるようになりました。「道場に来て、新しい道場で学んできたことを還元するように。」ともおっしゃっていましたね。

私の記憶が正しければ、、、元の道場に通いながらではあったものの、形を指導してもらえる新しい道場の方を優先して、新しい道場の練習日がズレて、元の道場の稽古日にバッティングしたら、新しい道場の方を優先してはいました。

私としては、「そんな約束はしていないのに、なぜ後からそんなことを言うの。。。新しい形のことを知りたいなら、他の子も自分で情報を取りに行けば良いじゃないか、、、」と思っていましたが、道場の先生からしてみれば、自分の教え子が自分の手から離れていく感覚に焦りがあったのかも知れません。

(とはいえ、私はそんな有名な選手だったわけでもありませんから、どこに所属していようが、だれに従事していようが、そんなに支障はなかったはずなんですけどね。)

これまで大人のいう事は正しいことだと思っていたので、生まれて初めて、大人の言うことに「ん?」と思う違和感を覚えた瞬間でした。

『しつけ・指導』の名の下、先生は自分の意のままにしたいだけでは?という疑念が払拭できないまま、時間だけが過ぎていきました。

そうしたことで、私は元の道場の先生と自分との間にギャップを感じて、居心地の悪さを感じていってしまいます。

さて、ここからどうなって行ったのか、つづきます。

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