空手が嫌いだった私が、空手の指導者になった理由⑤/最後

たまには、こんなお話もいいでしょ?

こんにちは!Risaです。前回の高校時代④からの続きになります。(前回のお話は『こちら』)

前回で、初めて大人の発言に違和感を覚えた私でしたが、、、

だからと言って、異を唱えることもできなかった私は、相変わらず元の道場に少しだけ顔を出しつつ、新しい道場の方での稽古に力を入れていました。

その後のインターハイでは結果こそ残せませんでしたが、全国で対等に戦っていける力がついてきたんだ、と正式に悔しい思いをできるようになりました。(悔しい思いをできるようにって、変な言い方ですが、本当そんな感じだったんです。)

漠然と『指導者だからって、その人についていく必要はないのか』と気が付いた

いろいろ端折りますが、私が元の道場の先生に感じた違和感。

それは、これまでお世話になったのだから還元するのは当たり前だろう!そう言われてしまえばそうなのかも知れません。

でも、私はそうしたくなかった。

先生が教えられない所のカバーをすることは、当時の私にとって違和感以外の何物でもありませんでした。

それは単に、私が教え子である立場に甘んじていたのかも知れません。

でも、私は、まだ成長したかったし、何よりも自分で苦労して身に着けてきたことを、簡単に「道場で教えろ」と言われることが、とても嫌でした。(まして、両親に遠い道場に通わせてもらって、お金も時間もかけてもらってようやく身に着けてきたことです。)

それを当たり前のように言われるのは、違う。と思ってしまったのです。

そこからは、先生に対して「自分とは考え方が違うのか。それなら、ついていく必要はないんじゃないか。」と思うようになりました。

自分の視野が広がったことで、選択肢が増えたのなら、自分で選んでいいんじゃないか。と思い始めたのです。

私が、ついていきたいのは新しい道場の師範方、東京の先生の方だ。と気が付きました。
(この師範方、先生の考え方が私に合っている。と感じたんです。)

『自分だったら、こうする。』が出てきた。

新しい道場の師範方と稽古して、東京の先生に指導をしてもらって、自分の体の使い方や、他の選手の得意なことや、他の選手の良いところが、なぜいいのか、自分と何が違って、自分だったらどうできるか、、という思考に変わった私は、

人を良く見るようになりました。

何がこの選手の良いところなのか。。。と。自分だったら、、、と。

この視点は、視野を広げてくれた新しい道場の師範方と、東京の先生のおかげです。

この思考が身についてから、小学生だった自分に今の自分が出会ったら、どんな言い方で、どんな風に気持ちを乗せて、どうやって「楽しい!数分前より上手くなった!!」って思わせてあげれるだろう?って、なんとなく考えたりすることも出てきました。

違和感を埋めるのは難しい

そして、、だいぶ端折りまして、大学へも進学・無事卒業した私は、(ちゃんと体育会空手道部で4年間頑張りましたよ。)
社会人になり空手とは無縁の生活をしていました。

ある時、ご縁があって、空手の指導をしてみないか、、と、大学時代の尊敬する空手道部の先輩から声をかけてもらいました。

毎日数字に追われる営業として、辟易していた私は、自分のこれまでの積み重ねがもしかしたら、誰かの役に立つかもしれない!と思って、再度空手の世界に戻ることにしたのです。

ただね、、空手の世界に戻る時、小学生時代の元の道場の先生には連絡をしませんでした。
(苦手だったし、大学入学時に、道場も辞め解放されたと思っていたので連絡をしたくなかったのです。)

すると、先生から「空手の世界に戻るなら、俺に話すのが筋だろう」とお叱りの連絡が入りました。

連絡を入れなかったのは、よくなかったのかも知れません。

筋という話しでいえば、一報するのが正解なのかも知れませんしね。

でも、、、私も社会人として大人になっていましたから、社会人として挫折や失敗、紆余曲折を経て、ある程度の経験もし、
私が指導者という立場で、教え子が同じ状況でこんな風に指導者として戻ることを知ったら、

「よく戻ってきたね。何か有事の時は相談に乗るからね。頑張れよ!」と声を掛けるなぁ。。

と、”自分ならこうする・こう言う”と思ってしまったのです。(単なる反骨精神かもですね。)

そして、あらゆる局面でどんな言葉を掛けられるか、どんな言い方で伝えるかで、よくも悪くもなる事を実感しました。
『私が目指すのは、局面で助けや支えになる言葉を掛けられる人間。絶対になろう』と心に誓いました。

私は自分の経験を武器に、寄り添える指導者になろうと決めた

諸々ありながらも、空手の指導者として空手の世界に戻ってきた私は、自分を導いてくれた、引き上げてくれた師範方・先生のような人を目指すことに決めました。

空手が嫌いだったから分かる、子供たちの気持ち、表情。これが自分の最大の武器になると思ました。

どうしたら・どう話したら子供たちがこの時間を楽しいと感じられるか、、厳しくする方が頑張れるのか、楽しくやるには、、、と試行錯誤の毎日でしたし、たくさん失敗もしましたが、子どもの表情を見るのは少し得意になってきました。

大人に対して臆せずグイグイを話ができる子。一歩引いたところで話を聞く子。頑張る姿が照れくさくてふざける子。

単純に、来させられている子。。褒めて欲しくてやっている子。

表情や態度で、なんとなく分かるようになりました。

どんな背景があれ、私と稽古している間は、成長を実感できるようにしたい。

ダメなことを指摘する教え方ではなく、良い例や、その子のよかった所を見つけて、どんなに小さくても成功体験を増やしてあげたい。とそして、何か困ったことやいつか悩んだときに、抜け出すヒントや、判断の基準なるようなことを伝えてあげたい。と思い、ひそかに自分の心に「そうなろう」と誓いました。

長々と、お付き合いくださり、ありがとうございました。

これが、空手が嫌いだった私が、指導者になった理由の流れです。

指導者生活が始まってからも、上手くいかないこともたくさんありましたが、それでもいろんな角度から物事を見られたり、
全体を俯瞰してみて、以前よりも多少冷静に判断ができるようになったかな、、と思います。(まだまだ全然なんですけどね。。。笑)

という訳で、この話はこれでおしまいです。

そんなたいそうな経験ではなくても、自分の礎になっている、大事な部分のお話をさせてもらいました。

だからね、つまり何が言いたかったのかというと

自分が信じる道を進みましょー!っていうお話です。

今は、先が見えない最中にいる方もいるかもしれませんが、いずれその霧も晴れるし、振り返った時には、成長した実感が持てる時がやってきます!みんな、自分信じて進みましょー!そして諦めないで!きっと道はひらけます!!

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